santa_nyan’s blog

とるに足らない普段の生活

違うコースへ

毎回

和歌山城コースを歩く、もしくはジョギング 🏃 だと、

時々は違うコースに行きたくなります。

JR駅の方向だったり、南海駅の方だったり。

 

この日は、和歌山城の外側をぐるっと回った後、

入ったことのない道へ入ってみました。

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カール・ケッペン、ドイツの下士官。明治の初めに兵制改革を行った紀州藩で、プロイセン式陸軍を指導するために派遣されたお雇い外国人。

彼が率いた紀州藩の藩兵は、全国初となる四民平等の皆兵制度を採用していたため非常に士気が高く、また当時最新鋭であった「ドライゼ銃」を自由自在に使いこなすことから、「日本最強」との評判を得ていました。 さらに、彼は藩内で火薬や銃弾を製造させたほか、機能的な軍服や革靴の導入を進め、これらが新たな地域産業となるきっかけを作りました。ケッペンの功績は、後に明治新政府がプロイセン式の軍制を導入するきっかけとなり、彼は大日本帝国陸軍の礎を築いた人物の一人として高く評価されているのです。(トリップアドバイザーより)

 

カール・ケッペン氏の碑を見ながら南へ歩くと、お寺がありました。

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報恩寺は、もともと要行寺といい、慶長14年(1609)に建てられたとされています。その後寛文6年(1666)に紀州徳川藩主頼宜公夫人の追善供養のため、息子である光貞公が要行寺を報恩寺と改め、一ヶ所本山として寛文9年に小西檀林化主日順上人を招き、寺領250石を寄進し開山導師としました。

以来、当山は紀州徳川家代々の菩提寺として、また和歌山城下唯一の『武士寺』として親しまれてきました。最盛期には末寺6ヶ寺、総面積は約25,000坪を有する紀州随一の日蓮宗寺院として栄えました。(縁起・HPより)

 

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紀州徳川家代々の菩提寺、だったのですね。

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~ ~ ~ まだまだ、発見があります。 ~ ~ ~

 

 

昨日は、息子がサッカー⚽へ行っている間に、

和歌山城を通常パトロールし

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その後、北側を散策。

出来立ての和歌山城ホールのすぐ近くには、和歌山県立医大の薬学部が完成。

周囲はベーグル専門店やサンドイッチ店、から揚げ専門店、その他魅力的なお店がたくさん、そして行くたびにに新しいお店があるので、楽しいです。

あちこち見まわしながら🏃🏃=3。

頑張るお店に元気をもらいながら帰宅、という土曜日でございました。

 

今日は、どちら方面へ向かおうかなぁ。